かずねっと

京都に移住した元引きこもりが自分の殻を破って人生楽しく生きるブログ!

不登校を経験して感じた、学校教育の違和感

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中学時代におよそ半年、高校時代はおよそ2年の休学という不登校・引きこもりを経験したのちに学校に復帰して感じた、学校教育の違和感について、つらつらと書いてみたいと思います。 

自分は前述の通り、在学中に不登校・引きこもりを経験しております。
(高校卒業後も数年間引きこもってました) 

そうやって一度「学校」という社会から離れて、そして復帰した時、学校の中に居ながら学校というものを客観的に見るようになっていました。
ちなみに、人口の少ない田舎の学校の話ですので、都会ではまた違うのかもしれません。


「教師と生徒」という立場でしか物事を考えられない


学校に通っていて、「それおかしいんじゃない?」「それ間違ってるんじゃない?」 といった違和感を何度も感じました。
当時はその違和感を口にしても、 相手からしたら自分は当事者なわけで、どれだけ客観的に考えたところで「我慢しろ」だとか「文句言うな」といった返しをされるだけでした。

どれだけ丁寧に「おかしいんじゃないですか?」と説明しても、「生徒が文句言ってるだけ」としか受け取られなかったわけです。

そうやって「生徒」というだけで完全に下に見てるので、「器が小さいなぁ」などと思っていました。(笑)



「見てくれ」ばかり気にする


自分が学生の頃は「腰パン」が流行っていました(笑)
自分はカッコよく思わなかったのでしませんでしたが、そういった「制服の着方」とか「髪型・髪の長さ」について、中学も高校も厳しく指導している学校でした。
どれだけテストでいい点取っていても、「服装・髪」についてやかましく言われるわけです。

そうやって「見た目の個性」を潰すことに物凄く違和感を覚えました。

マナーが悪いとか言葉遣いが悪いとか、あるいは非行に走ってしまうような生徒が居ても、「内面的な部分の教育」が出来ないから、外見だけでもまともに見せようと「指導」してるんだろうなと考えました。

マナーとかモラルとかを教えるより、「外見」を注意する方がよっぽど簡単で、どんな教師でも出来ますからね。


結局教師も人間、悪い教師もいる


高校時代には、生徒を完全に見下して、勉強が出来ないことを馬鹿にする教師がいました。
「なんでこんなこともわからないんだ」「自分で調べてこい」といった具合に。
文字にするとわかりづらいですけど、本当に人を馬鹿にした(コケにした)言い回しで、この教師が教室に入ってくるとそれだけで空気がどんよりと重くなりました。

勉強を教えるとか以前に、「人として」教育者失格だろって思ったので、実際に学校に対して問題提起しましたが、「生徒が文句言ってるだけ」としか取られませんでした(笑)

「カタカナ英語」の発音しか出来ない英語教師とかもいました(笑)
「こんなんでも教師になれるんだ」とか思いながら授業を受けていましたね。

人間性に関わらず、勉強が出来れば教師になれるんだなぁとか。
ほんとにもう、完全に「外から」 学校を見てましたね。

あ、もちろん良い先生も居ましたよ!


「学校に対する違和感」が「社会に対する違和感」に


服装や髪型に始まり、得手不得手をあまり考慮しない、「個性を潰した画一的な教育」は、本当に違和感しかありません。
そういった教育の成果が、今の「レールの上を生きるのが正しい」とされる社会なんだろうなと感じます。


不登校・引きこもりを経験して、学校や社会に対して違和感を感じた自分には、「世間一般的な価値観の中で正しいとされるレール」に沿って生きることが、どうにも出来ません。