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京都に移住した元引きこもりが自分の殻を破って人生楽しく生きるブログ!

対話・討論・議論の違いとは。哲学カフェに参加してきた!

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「哲学カフェ」というものに初めて参加してきたので、それについて記事にしたいと思います! 「哲学カフェ」とは、あるテーマに沿って哲学的な議論をする草の根の討論会、とのこと。(Wikipediaさんより)

 


ちなみに自分はほとんど喋ることなく、聴くばっかりで終わりました(笑)。初参加なので、一体どういう話をしていくのかっていう興味が大きかったからです。
テーマ設定がざっくりしすぎていたので、風呂敷が広がりすぎてたためないような状態になってましたw
が、こういう風に「話す場」って面白いなーと感じました。

テーマは「集団行動」について

かなーりざっくりしたテーマで、主催者の方は「集団行動のどういったことについて話すのか」といった具体的なことまでは決めずに、その場その場での議論の広がりを期待していたみたいですが、参加者の方は、テーマの範囲が広すぎて何について話せばいいのか少し困惑している感じでした(笑)
別の地区で開催されてる「哲学カフェ」では、テーマを具体的に決めているようなので、 主催者によって「哲学カフェ」がどういうものになるのか変わるみたいですね。

広がりに広がる話

「集団行動」というテーマではあるけど、個人個人が自発的に動いた結果の集団についてなのか、誰か音頭をとる人がいる集団についてなのか。どういった集団についての話なのかでまず議論が(笑)
その後「デモ」という集団行動は自発的なのかどうかとか、なぜ集団行動をとるのかとか。 「難民」という集団行動についてだったり、生物は(ヒト以外の動物も含め)なぜ集団行動をするのかといった話まで。
とにかく話が広がっていってました。 

具体的な一つのテーマだったら、もうちょっと自分の考えを言えたかもしれないけど、「紛争」や「難民」といった社会情勢やらの話まで出てくると、教養のない自分には、聴くので精一杯でした(笑) 

でもまぁ、どんどん話が広がっていくのもまた「哲学」なんでしょうね。

対話・討論・議論の違い

話が進むなかで、今回の哲学カフェは対話が目的なのか討論が目的なのかという話題に。
とても博識な参加者の方が、「対話する場だと思ってきたけど、討論みたいだね」と。相手の意見を否定することもありの討論なのか、否定せずに各々の意見を言いあって理解を深めていく対話なのか。

「あるテーマ」について話をする時に、目的が「対話」なのか「討論」なのかはたまた「議論」なのか。テーマだけじゃなくてそういった部分もしっかり決めておいた方がいいと。

正直、自分は今まであまり意識したことがなかったので、目から鱗が落ちました。

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日本には「対話」する場がない

その方は同時に、「対話は簡単に出来ることじゃないし、日本には対話する場がない」とも言われてました。
考えてみれば確かに、肯定するか否定するか、敵か味方かっていう話の仕方ばかりですね。 
相手を打ち負かそうとするばかりで、理解を深め合うってことがなかなか出来ていない。

日常生活でも「それちょっと違うんじゃないか」って思った時、どうしても相手のことを否定したくなっちゃいます。
でもその時、「それは違う」と言うんじゃなくて、「なるほど、そうなんだね。 ちなみに自分はこう考えてるよ」って具合に相手を受け入れて理解を深められるような「対話」を意識していきたいですね。

うん、すごく勉強になった集まりでした。


哲学カフェ、ネットでやったらどうだろう?

今回初めて参加した「哲学カフェ」ですが、地域によっては短い間隔で定期的に開催されてる模様。でも住んでる場所によっては「遠くて行けない」ってことも大いにあると思います。 
そこで思ったのが、集まる場所を「ネット」にしたらどうだろう?ということ。 

スカイプやらツイキャスやらPeriscopeを使えば、遠くにいる人とも簡単に繋がることが出来るし、動画での配信も出来るし、動画を観ていて思ったことは気軽にコメント出来るしで、「哲学カフェ」とすごく相性がよさそうなんですよね。

坂爪圭吾さん@KeigoSakatsume が時々やってるツイキャスは、「哲学カフェ」に近い気がします。

「哲学カフェon the WEB」面白そうじゃないですか?w